TOPページ > 薄荷 (ハッカ)について

岡山県における薄荷の歴史

薄荷は江戸末期に備中地方(岡山県)で蒸留による精油(取卸油)採取が始まり、明治期に入り水蒸気蒸留法が普及し、薄荷栽培は各地に広がりました。北海道へは明治20年代から30年代にかけて普及したと言われています。
明治後期から大正、昭和にかけて薄荷栽培は盛んに行われ、記録では太平洋戦争前の昭和8年から12年頃が最盛期とされています。昭和11年には、当地岡山県倉敷市に農林省指定薄荷試験地が設置されました。戦後は、昭和20年代から30年代が栽培の最盛期と言われています。
農業試験場倉敷分場では、薄荷の品種選抜や開発が行われ、「三美(さんび)」の選出、「はくび」「りょくび」「しゅうび」の3品種が開発されました。

1958年(昭和33年)
    三美   岡山県奨励品種
1958年(昭和33年)
    はくび  岡山県奨励品種
1966年(昭和41年)
    りょくび 岡山県奨励品種
1971年(昭和46年)
    しゅうび 岡山県奨励品種

ハッカ画像

しかし、1962年(昭和37年)薄荷の不作による国内での供給不足と国産薄荷相場の高騰を背景に、それまで輸入禁止品目であった薄荷産品の輸入が行われます。それ以降、毎年政府による割当制での輸入が行われるようになると、結果として国内薄荷相場の高騰は抑制されたものの、安価な輸入品におされ、日本の薄荷栽培は衰退へと向かうこととなりました。
そして、1971年(昭和46年)岡山県の薄荷栽培は、ついにその幕を下ろすこととなります。

現在の薄荷

はっか農場

和種薄荷は、主に l-メントールを得る目的で栽培されます。なお、l-メントール(冷涼成分)には、一般的に和種薄荷の精油から作られる「天然 l-メントール」、化学合成により作られる「合成 l-メントール」の2種類があります。
現在国内において、和種薄荷は北海道の一部地域で栽培されていますが、その生産量は極少量です。一般的な工業製品(医薬品、食品、化粧品、雑貨製品等)については、ほぼ全てが海外からの輸入品あるいは輸入原料です。
日本の主たる輸入先はインドと中国で、その中国はインドから輸入した原料を加工し世界へ輸出しています。結局、日本国内に出回っている和種薄荷製品は、ほぼ全てがインドで栽培された和種薄荷をもとに作られていることになります。

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